2013年11月12日火曜日

東山千栄子さん③ 関東大震災



さて、またまた東山千栄子さんに戻りますが、これで最後です。長らくおつきあいありがとうございました。最後は関東大震災の話(これまた時代や…)。
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表面は調うた生活をしながら、過ぎて行く月日をとらえる術もなく暮らしているところへ、あの大震災が見舞いました。
下町の住居ではありませんから直ぐに戸外へのがれて、身命に及ぶような被害はありませんでしたけれど、瞬間に行われた帝都の大破壊の前に、私は初めて長い眠りの眼をさまされました。
あっという間に生命を失った数十万の人々、人間の一生はいつ済んでしまうか知れないのだった。現在に不満なのは何かを未来に待つもののあるしるしなのだが、それが何なのかも突きとめないで惰性で生きている間に、自然の暴力で突然未来を遮断されてしまう。
そう感じた時、私の胸ににわかに激しいうずき上がったのは「これはこうしてはいられない」という思い、これまでにない強い反省に直面しました。「たとえ一日でもより完全に生き切らなくては」そういう焦燥にかられながら、その秋から冬、春と過ぎたところで丁度築地小劇場の発足に出会ったのでした。
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3.11で「震災婚」「震災離婚」などという言葉も出ましたが、結婚だけに限らず対象の違いはあれど、何かこのままではいけどないと同じような気持ちになった方はずいぶんいたのではないでしょうか。そして「現在に不満なのは何かを未来に待つもののあるしるしなのだが」という文章、わかるような…あんまりわからないような…東山千栄子さんには幸運にも築地があったけど、そうは思っても具体的に動ける人は少ないですよね。。。

築地小劇場には私の大伯父などは随分通ったそうで、私の母も学生時代俳優座の芝居を観ては東山千栄子さんからサインをもらっていました。私が生まれた年に彼女は亡くなっているので私は小津作品や「紀ノ川」「喜劇・にっぽんのお婆あちゃん」のような映画しか観たことはありません。でも「新劇女優」というタイトルでしたが映像で残るっていうのはスゴイことですね。舞台だけだとそうはいかないから。

写真は「フィガロの結婚」の伯爵夫人ロジーナ。珍しくキレイです。