2012年5月10日木曜日
不器用だけど、かぎ編み
GWが9連休だった私。さすがに5月1・2日は遊んでくれる友達もいなかったので、その2日間は実家でかぎ編みをしていました。冬に部屋の床に敷く物が欲しかったので、Cath Kidstonのカタログ(写真上)を見せ、「こういうのが作りたい」と頼んで母に教えてもらってました。簡単な図案だし、毛糸も太いからどんどん編み上がっていきました。
が、しかしだ。とにかく私の編んだパーツはスゴークきたない。きたない上に、丁寧に進めないから編み目も間違いまくってる。不器用な上に雑。でも作業が速いわけでもない。間違った鬼に金棒(マサオにイケコ)。一目で母が編んだパーツか、私が編んだパーツかわかります。
そしてね、絶望的に思ったんです。「ああ不器用なんて、つくづくメリットが一つもない」と。そんなことを思いながらの編み物中、村上春樹の「ノルウェイの森」で、主人公のワタナベ君の誕生日に、恋人の直子から送られたぶどう色のセーターに添えられていた手紙の一節がずーっと頭の中でまわってました。
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直子からの手紙
「このセーターは私とレイコさんとで半分ずつ編みました。もし私一人でやっていたら、来年のバレンタイン・デーまでかかったでしょう。上手い方の半分が彼女で下手な方の半分が私のです。
レイコさんという人は何をやらせても上手い人で、彼女を見ていると時々私はつくづく自分が嫌になってしまいます。だって私には人に自慢できることなんて何もないんだもの。さようなら。お元気で」
レイコさんからのメッセージ
「元気?あなたにとって直子は至福の如き存在かもしれませんが、私にとってはただの手先の不器用な女の子にすぎません。でもまあ何とか間にあうようにセーターは仕上げました。どう、素敵でしょう?色とかたちは二人で決めました。誕生日おめでとう」
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それでも、直子ちゃんは美人だし、下手と言ってもたかがしてれてるでしょうし、ワタナベ君にとっては「至福の如き存在」だから、そんなところも可愛く見えるかもしれないし。そしてそんなことを考えているうちに、もし私が戦争中に女学生で勤労奉仕なんてことになったら…きっと手先が器用な子は、ゼロ戦の無線の受信機だかなんだかを作る座り作業で、私なんて、そんなの組み立てられないから、雨の日や炎天下でも材木運びかな~…そんなのイヤだな、なんて想像をしていました。
とりとめもないことを書きましたが、皆さん、不器用であることのメリットをもし思いついたら教えてください。