2013年10月29日火曜日

東山千恵子さん② 女学校時代の話



さて、東山千栄子さんの話の続きです。
生家が佐倉藩の家老であったり、明治の世に養父が帝大教授であったり、女学校を卒業してからはフランス語を習ったり、旦那様が貿易商でモスクワ支店長だったり、金貨で買い物をしたり、ヨーロッパの小説の原書の入手は思いのままだったり、モスクワではオペラやバレエやはてはスタニスラフスキーやチェーホフの芝居をリアルタイムで観たり…ともう私なぞから見たら「自慢!?全部自慢!?自慢大会!?」と思えるようなエピソードの連続なのですが… 女学生時代の章で、こんな風に書かれていました。
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私が麹町の富士見高等小学校の高等二年のとき、学習院女学部の入学試験を受けました。明治三十六年のことです。
当時はまだ階級的な差別観が、どの社会でもきびしくて、私の家は代々佐倉藩の家老だったとはいえ、貴族の子弟を教育する、学習院に堂々といけるほどの格ではなかったのですが、なんでも、学者の子供を、華族のあいだにいっしょに入れて、生徒全体の学力を高めることになっていたんだそうです。富士見小学校は、当時できる生徒ばかりでした。ちょっと自慢めいてきますが、私は二、三番を下ったことがなく、学習院の試験もよくできました。
ところで、私の代わりに、合格者の発表を見にいった人が、おどろいて帰ってきました。一年生の合格者の中に、私の名前はなく、二年編入の名前のなかに、私の名前がはいっているというのです。私もびっくりしました。ハテ、そんなことがユメにもあることでしょうかと、首をかしげました。ところが、ほんとうでした。あとで、学校に家の人が、たしかめにいったところ、私を一年生にいれたのでは、学力がありすぎ、ほかの生徒がこまることを心配して、特に二年編入ということになったということです。
下田歌子先生が校長先生でした。学習院はほかとちがって、通信簿は、封書になっていて、そのまま親に渡すようになっていました。一学期の通信簿の成績で、乙が二つあったので、私は、おやおや、小学校では全甲の成績だったのに、ばかに成績がおちたと首をかしげました。ところが、ほかの人たちは、「甲が二つあったわ」とか「甲が四つになったわ」などと言って、話しあっているのです。こんなわけで、学習院は勉強の点では、ずいぶん楽でした。
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・・・???わざわざ「ちょっと自慢めいてきますが」とあえて断って話す内容が、たかだか小学校と試験の成績の話。他の「自慢」に聞こえる話は彼女にとってただの自分の歴史の一部でしかなく、「自慢めく」話でさえないのでしょうか???だとすると、朝吹登水子の軽井沢のお嬢様生活も自慢じゃなかったのかな…??
ところで、学習院女子部長が下田歌子だった時代…に生きてる人なんですね…明治だわ。
写真は生涯の当たり役となった、チェーホフ「桜の園」のラネーフスカヤ夫人です。

2013年10月28日月曜日

東山千栄子さん① フランスでのお買い物



少し前のブログに書いた東山千栄子さんの自叙伝「新劇女優」、とても面白かったのでちょっとご紹介。文筆が本業ではないので、わりと文章はたどたどしいのだけど何やら言葉遣いとお嬢さんとも天然とも言える不思議な視点が面白くて止まりませんでした。
帝大で国際法の教鞭をとっていた養父の家でお嬢さんのように育った「せん」さん(本名)は結婚してからすぐに旦那様のお仕事でモスクワへ行き、その間語学や社交のお勉強のために単身仏蘭西(リヨン)へ短期間行きました。そこでは・・・
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ようやく少し買物位出来るようになって、一人で外出しますと、ふらんすの都会のそれは美しいこと、ちょっとした店をのぞきましても、買手を待っている品々がどれもゝ洗練された意匠、すぐれた感触、単に欲しいとか欲しくないとかの境を超えて、私はもう一つ一つが持っている芸術的魅力に深く惹きつけられました。
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わ…わかる!!!!「単に欲しいとか欲しくないとかの境を超えて」というのが、なんとも理解できます。これまでいつも女中がいて自分でお金を持って買い物なぞしたことのないようなお嬢様だった東山千栄子さん、このフランス滞在中サインひとつで好きなだけ銀行からお金をおろして買い物ができる環境だったため、キレイな金貨をおろしては何でも買ってしまい、銀行の残高を見て吃驚した旦那様からすぐモスクワへ戻るよう言われてしまい、4ヶ月しかフランスへ居られなかったことを悔やんでいました。
写真は当時ベルリン第一級の洋服屋に作らせた昼の礼装ローブ・モンタントと、当時モスクワ一流の男性結髪師理がセットしたウェーブだそうです。

2013年10月22日火曜日

金鈕


フリーマーケットでの「大草原の小さな家」の他の戦利品?は、12個入りで25円(50円が半額になってた)の金ボタンでした。
写真のコート、清澄商店街のつぶれる寸前の昭和な洋品店で900円(もちろん新品)でもとめたものですが、さすがは900円。昭和の小学生が付けているようなチャチなボタンがずっと気に入らず、長いこと付け替えたいとは思っていても12カ所を1つ100円のボタンにしたら1200円。コートの値段をうわまわるバカバカしさからそのままにしていたのですが、この度フリマで出会ったボタンに夜なべ仕事で台風の夜コツコツとつけ替えてみたら…いいじゃあ~りませんか!ただ・・・買ったボタンの数がちょうどコートの数と同じ12個で、ボタンのスペアが無い心許ない状況なのです・・・

2013年10月21日月曜日

「大草原の小さな家」②



「大草原の小さな家」の話は続きます…。
「ハチミツとクローバー」や「3月のライオン」で有名な漫画家・羽海野チカさんもこの大草原シリーズのファンだったそう。数年前の彼女のブログがあまりに素晴らしかったので、勝手に抜粋させていただきます…(本当はダメなんだろうな)小説家や漫画家さんというは…本当に表現力がハンパなく、こんなに素敵にこの「大草原」シリーズの感動を伝えることができるなんて。そっちにむしろ感動してしまいます。
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「子供の感受性」とかいうものもあるが
経験しないとほんとうには解れないものが
人間にはやっぱりある
(それでいうとまだまだ私はあまりにも経験不足だけれど)

「大草原の小さな家」が小学生の頃から大好きで
あんまりにも何度も何度も繰り返し図書館で借りてくるので
両親が中学に上がる時、お祝いに、
といってシリーズを買ってくれた
当時の我が家の事を思い出すと
あの福音館書店のハードカバーのシリーズは
両親にとって とても高価なプレゼントだったと思うのだ
それだけでも 今思うと泣けて来る

その頃の私は その「大好きな本」が
これでもう何回も借りて来ては返しに行く、
というのを繰り返さなくて良くなって
ただもう嬉しいばかりだった
いつも図書館の本棚にあった本が、
自分の家の本棚に全部おさまっているのだ
なんとも不思議で幸せだった
大事に大事に、あきれるくらい繰り返し読んだ
挿絵のガース・ウイリアムズさんの
細やかな鉛筆画も大好きだった

小学生の頃はローラと自分を
当たり前のように重ねて読んでいたのだけれど
大人になってから読んだらまだ若い 
父さんのチャールズと母さんのキャロラインがなんにもない、
空と馬車と大地しかない開拓地で子供3人を
どんなにがんばって育てたか
どんなに頑張って支え合って生きていたかのほうに
涙が出た

この頃はローラの姿が私の母の小さかった頃の
姿にも重なって 見えるようになって来た
それは全部 切なくて幸せで胸がくるしいものだ
人生で何度も繰り返し読み続けられる本を持てたのは
とても幸せな事だ

うまくまだ言えないけれど
やっぱり人間は自分が進めた所までしか
本当には理解できない
何十年もかけて、
自分の心の進んだ距離を何度も読む事で、
何度も計ることができるのは
物語の持つ大きな力だとおもう
できれば
できれば私もそんな物語を創れたらとおもう

2013年10月17日木曜日

「大草原の小さな家」①



前回フリーマーケットで買った「大草原の小さな家」シリーズですが、テレビドラマも放送されていたのでご存じの方も多いのではないでしょうか。 これは私が小中学生の頃に好きでよく読んでいた本なのです。(ちなみに私が読んでいたのは講談社の「青い鳥文庫」)
昔、私の母のヒッピーのお友達で開拓者のようなコミューン生活みたいなのをしていた方は、いつか家の本棚にシリーズ全巻を揃えるのが夢だったとか。 母も父の転勤生活が終わったら揃えたいと思いながらもそのままだったようです。

私の好きな西部劇と同じ国と時代ながらも、まるで対極のような生活がそこにはあります。銃は熊を倒したり食糧にする狩りのため。馬は基本馬車用で、出てくる動物は家畜である牛の方が断然多い。麦、野菜、魚は自給自足だけど、お砂糖や紅茶は町に出た時にのみ手に入る貴重なもの。天災で農作物が取れない年は、父さんが歩いて200マイル(…がどれくらいだかわからないのだけど)離れた町まで行き、製材所や脱穀の仕事などをします。それでもいつもこのインガルス一家は丁寧に生活をしています。おうちはいつもピカピカに磨かれチリひとつなく、カーテンはよく洗いのり付けされて、ベッドはいつも藁のいい香りをさせています。数少ない娯楽といえば父さんが夜弾いてくれるバイオリン。そして聖書の言葉とともに志し高く生きていく家族。

母が私に「戦後は本当に物が無かったのよ!」と言っても(そうは言ってももう昭和20年代も後半だから本当に物がない頃は知らないと思うんだけど…)、ピンとこなかったのですが、これを読むと「物が無い」「お金が無い」ということが肌でわかるようです。それでも決して心は貧しくないところがこの物語が時代や国を超えて大切にされる理由なのでしょう。

アメリカの出版社のHPで初めて知ったのですが、今年はこのシリーズが出版されて75周年だとか。カラー版の「大草原の小さな家」が出版されるそうです。上の挿絵は、私が一番好きだった教会のクリスマスの場面です。

2013年10月15日火曜日

フリーマーケット



毎年10月、近所の「羽根木公園」では年に1度の大きなお祭り「羽根木雑居まつり」があり、今年もそのお祭りのフリーマーケットに小銭をたくさん持って参戦してきましたよ~!!小学生の頃からフリーマーケットで掘り出し物を探すのが好きなんです…。
さて、今回の戦利品はほぼ洋服と本となりました。どれも古いけれど比較的状態のいいものです。チョッキ、ジャケット、ワンピース、スカート2枚で600円。かぎ針2本と金ボタンで100円。そして福音館の「大草原の小さな家」シリーズのハードカバー5冊で500円。写真に入れるのを忘れてしまいましたが、他に新品のオレンジと黒の格子柄のウールの着物が300円とキルティングの軽めのコート200円、レジャーシート30円をもとめました。合計1730円。フリマにしてはなかなかの散財だけど、古着屋でこれだけ買ったらもっとしたでしょうから、ま、いっか!何せ縁あって?「大草原」シリーズが我が家に来てくれが嬉しいです。

2013年10月2日水曜日

Napoléon





柚希礼音主演「REON!!Ⅱ」も見終わり、池田理代子先生の14冊にも及ぶ「栄光のナポレオン-エロイカ」も読み終わり…あとは来年1月、宝塚100周年イヤーの幕開けとなる星組公演の「眠らない男・ナポレオン ―愛と栄光の涯に―」を待つだけじゃ、と悠然と構えておったら…こんな色んな意味で常識を逸したすんごいポスターを歌劇団は出してきおった…!!!な…な…何コレ!?!?!?
今回のポスター撮影は久しぶりにレスリー・キー氏に戻り、本当によかったなぁと心から思ってたのに…レスリーのせっかくの写真が変な肖像画になってる…(指とか変だし!!)何で森村泰昌氏に頼まないで、こんな中途半端なこと劇団制作部だけでしちゃったのよ!!でも衣装はやたらと豪華で、特にねねちゃんメチャクチャ気合い入ってるし…。
もう、ツッコみたくても私には何が何やらわからず、ただもう半泣き状態デス。あ、でもこのポスターをフランス人に見せたら、何ていうかな…。
それはともかく、上の本物のナポレオンの絵、ものすごい躍動感ですね。写真でもこうは表現できまい。絵ってスゴイな~。

2013年10月1日火曜日

チケット貧乏…





なんのかんのと…この9月は値の張るチケットの舞台が多くすでに10月中旬までの生活費を使いきってしまった。どうするんだ私!!
さて、上から美輪様のロマンティック音楽会のことは前回書いたとおりでして、次に観たのはケラリーノ・サンドロヴィッチ演出、チェーホフ作の「かもめ」。

やはり「かもめ」はいいですね。もう自分でも何が好きなんだかよくわかりませんが、月がのぼる夏の湖も、嵐の夜の客間も心がざわざわします。特に今回素敵だったのが蒼井優嬢のニーナ。私が観た中で一番の「ニーナ」でした。ものすごくよく通る声と長い指が可愛くて、2005年ドラマ「タイガー&ドラゴン」で「こんなにスゴイ女優さんがいるんだ~」と鮮烈な印象を残したことを思い出しました。

そんでもって~!!チケット難のため、かなりど根性を出さないと取れないと思っていた「REON!!Ⅱ」のチケットは姉に譲ってもらい…お姉ちゃま、本当にありがとうございました!!Ⅱということもあり、前回の焼き直しも多かったのですが、大好きな名シーン「薔薇のタンゴ」が今の星組のメンバーで蘇っていたのが、何よりも幸せでした!!うーーん!星組は熱いダンス、似合うわ~!!

この後、小安いお芝居を観る予定があるのですが…こちらはピューリッツア賞受賞の戯曲(このフレーズの芝居にめっぽう弱い私…)なので期待大です!!し・か・も!!在団中「リアル・マヤ」の異名を持っていた元・宙組トップ娘役野々すみ花嬢主演です!!すみ花のお芝居はいつか小さい劇場で観たいと思ってところ、意外とすぐに夢が叶いました!!楽しみです!!

でも…お財布がスッカラン…何を節約すればいいんだろう…??ここでニーナの台詞をひとつ。「むごいものだわ、生活って」